新型コロナウイルス対策が緩くなり、ほっとしています。しかし、「マスクの使用と不使用の選択は個人の判断にゆだねられています。個人の主体的判断を尊重しましょう。」という注意書きに気付きました。
マスク着用の様子は、路線の違い、観察する時間帯の違い、駅の違い、車両や駅通路・ホームの込み具合等々で違うように見受けられます。どの違いが観察結果の違いを大きく説明するのか詰めていません。5月に入っていろいろ仕事や私用で動きました。小田急線、日比谷線、東海道線、山の手線、京王線、各駅しか停まらない駅、港区内の駅、大きすぎて路線では絞れないように大きな駅・・・朝7時台、同8時台、お昼頃、夕方5時頃、同7時頃、夜10時頃、真夜中頃。マスクをしていない人の比率は違うようですが、ざっくり5%から30%程度の間での違いですから、統計的に意味ある違いかどうか。きちんとした分析が必要なのはわかります。とはいえ、夜の新宿駅でのマスクを着けていない人(顎にかけている人も含む)は30%ほどになり、私の見た限り一番高いです。東京駅の朝7時から9時頃までは着けていない人は10%を切っている感じです。会社勤めで集団の中で作業をする人たちは職場に向かう際にはもう仕事場モードでマスクをしているのかもしれません。帰宅時間の東京駅でも着けている人の割合は高い感じがします。というように状況を大雑把に見たのですが、それぞれの判断はどのような経路で行われたのだろうかと興味が湧きました。
感染しても無症状の期間が数日あってその期間内で周囲に感染を広めるリスクがあるので医療用高性能マスクでない限りは、防ぐというより広めないためなら普及しているマスクは有効だという2020年春頃の解説が腑に落ちました。マスクをしていない人たちはこのリスクが十分小さくなったので、マスクをしないという判断をしたのでしょうか。近くに人がいなければマスクをしないという判断も結果は同じというものの少し異なる検討経路を経たものと思います。しかし、まわりを見てマスクしていない人がいるからとか、友人がしないからということでマスクをしないことにした人も少なくないと思います。このいずれが適切な検討経路なのかとか、前者のような経路を経ないでマスクを外すことが悪である、不適切だとは言いません。
他人の様子を見てそれを追うという判断があってもよいのですが、それを主体的な判断である、だから尊重するというつなげ方はしっくりきません。主体的判断ではなく、単に「個人の判断」としておけばよいでしょう。感染リスクが小さくなったと政府が尊重する専門家集団が判断をして、これを大前提とすれば、個人の判断でマスクをしないこととした判断はまわりにひきづられた主体性のないものでしょう。だからと言って軽視はしません。とはいうものの、そのような判断にも主体的判断という衣を着せるのはしっくり来ないと思います。主体性というのはもっと重くてキリキリするものと思います。